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東京高等裁判所 平成10年(う)1920号 判決

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、検察官齊田國太郎作成の控訴趣意書及び弁護人木下貴司外三名共同作成の控訴趣意書に、検察官の控訴趣意に対する答弁は、同弁護人ら共同作成の答弁書に、弁護人の控訴趣意に対する答弁は、検察官山下永壽作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

第一  弁護人の控訴趣意第一について

論旨は、原判示第二の各事実に関し、被告人が関西国際空港株式会社(以下、「関空会社」という)の代表取締役社長甲に対して原判示の金品を渡したり飲食の接待をしたりしたのは、何の見返りも期待せずにしたことであるから、これらはわいろではなく、したがって被告人にはわいろであるという認識はなかったのに、これらがわいろであり、被告人にその認識があったと認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり、また、被告人は、関空会社は普通の民間の株式会社であると思っていたのであって、その役員である甲が公務員に準ずる地位を持っていることの認識を欠いていたのに、右認識があったと認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。そこで、以下被告人のわいろ性の認識、準公務員性の認識について順次判断する。

一  わいろ性及びその認識について

まず、関係証拠により、本件に関する事実経過をみると、以下のとおりであった。すなわち、

(1)  関空会社は、昭和五九年一〇月、関西国際空港の設置及び管理を効率的に行うこと等を目的とし、関西国際空港株式会社法により設置された、政府が二分の一以上の株式を保有する特殊法人であり、関西国際空港施設エンジニア株式会社(以下、「施設エンジニア」という)は、平成五年七月、関西国際空港の各施設(以下、「関空施設」という)の維持管理、清掃等の業務を行わせるために関空会社が資本金の半分以上を出資して設立した同社の子会社である。

(2)  甲は、もと運輸省の事務次官であったが、退官して平成三年六月に関空会社の代表取締役社長に就任し、同社の業務全般を統括して、その子会社である施設エンジニアの業務内容についても、関空施設の管理のため必要な事項を指示することなどができる職務を有していた。被告人は、平成四年三月ころ、知り合いの国会議員の紹介で甲と知り合い、同人に何度か食事やゴルフの接待をしたが、そのつきあいは関空会社社長という立場の甲との関係においてであり、それを離れて私的な交際等を持ったことはなかった。

(3)  被告人は、平成五年九月三日ころ、甲を京都の料亭で接待し、同人に対し、被告人の知人であるA経営のB社が、施設エンジニアが発注する関空施設の清掃業務に関し、地元の清掃業者の意向をまとめることができれば、清掃業務を受注する予定の大手業者の下請業者として採用されるよう働きかけて欲しいと申し入れたところ、甲から、関空会社の施設部担当の常務取締役であり施設エンジニアの役員を兼任していたCに話しておくから、Cと話をするようにと言われた。そこで、被告人は、同月一七日及び同年一〇月六日ころ、Cに右と同趣旨の申し入れをしたところ、Cも「話は社長から聞いている。」などと答えた。

(4)  B社は、地元の清掃業者の意向をまとめることに成功して、平成五年一二月上旬ころ被告人を通じてCにその旨報告し、Cは、部下のD関空会社施設部長を通じて、施設エンジニアから清掃業務を受注する予定になっていた大手業者に対してB社を下請業者として採用するよう働きかけた。その結果、平成六年二月ないし三月ころ、B社が右大手業者の下請業者として採用されることが決定した。

(5)  被告人は、平成六年一月二六日ころ、甲を京都の料亭で接待し、知人が考案し被告人が実質的に経営するE社で開発することになった防犯用特殊ゴミ袋を関空施設で使用してほしいと申し入れたところ、甲から、Cに話しておくのでCと話をするようにと言われた。そこで、被告人が同年三月一日ころ、Cに右と同趣旨の申し入れをしたところ、Cから「話は社長から聞いている。担当のD部長と話をしてくれ。」と言われた。

(6)  被告人は、平成六年四月一一日、甲を京都市東山区所在の料亭「富美代」に招き、一人当たり七万三七五一円相当の酒食遊興の接待をするとともに、化粧箱入りの金地金一個(三〇〇グラム、時価四二万三三三〇円相当)を供与した(原判示第二の一の供与)。

(7)  被告人は、平成六年四月一三日ころ、E社の役員であるFをして、Dに対し、防犯用特殊ゴミ袋の概要を説明させ、同月下旬にもDを訪ねさせてその使用を働きかけたが、結局のところ、コスト面等の問題で採用されないことになり、同年五月一六日ころ、Dからその旨通知を受けた。

(8)  大幸工業は、平成六年八月から関空施設の清掃業務を開始し、同年九月一九日及び同月二八日ころ被告人に対して合計四〇〇万円の謝礼を支払い、平成七年四月からは、E社に対して毎月三〇万円の謝礼を支払い、平成八年四月からは、清掃業務の売上高が上がったことにより、一〇万円増額して毎月四〇万円の謝礼をE社に支払うようになった。

(9)  被告人は、平成六年一〇月一七日、甲を前記の料亭「富美代」に招き、一人当たり一二万九〇三七円相当の酒食遊興の接待をするとともに、絵画一点(時価一〇〇万円相当)を供与した(原判示第二の二の供与)。

(10)  被告人は、平成七年一〇月三日、甲を京都市東山区所在の料亭「小澤」に招き、一人当たり五万三一七三円相当の酒食遊興の接待をするとともに、現金三〇万円を供与した(原判示第二の三の供与)。

(11)  被告人は、平成八年四月一一日、甲を京都市東山区所在の料亭「美の八重」に招き、一人当たり八万五九六三円相当の酒食遊興の接待をするとともに、一〇万円分の商品券を供与した(原判示第二の四の供与)。

そこで、以上の事実関係を踏まえ、原判示の各供与のわいろ性及び被告人の認識について検討する。

まず、甲は、関空会社の社長としての職務に関し、B社が関空施設における清掃業務の下請業者として採用されるよう働きかけて欲しいという被告人の依頼を担当の部下に取り次いで、その結果B社の採用が決まるに至ったのであり、また、関空施設において防犯用特殊ゴミ袋を使用して欲しいという被告人の依頼を担当の部下に取り次いで、使用の採否について検討させているから、被告人は、これらの点に関して甲から好意ある取り計らいを受けたと認めることができる。また、被告人が甲に対して原判示の各供与をした時期と、被告人が甲から好意ある取り計らいを受けたことに関連する各事実があった時期との関係をみると、原判示第二の一の供与がなされたのは、B社が下請業者として採用されることが決定したほぼ直後の時期であり、被告人が防犯用特殊ゴミ袋の使用を働きかけていた最中であること、原判示第二の二の供与がなされたのも、B社が下請業者としての業務を開始して、被告人がB社から謝礼を受領したほぼ直後の時期であること、原判示第二の三の供与がなされたのは、被告人が経営するE社が継続的に謝礼を受領するようになった約半年後であり、原判示第二の四の供与がなされたのは、B社の清掃業務の売上高の増大に伴い、E社の受領する謝礼が増額された直後であったことが認められる。

また、被告人は、検察官に対する各供述調書において、原判示の各供与は、B社が関空施設の清掃業務に関して下請業者として採用されたことや防犯用特殊ゴミ袋の使用を検討してもらったことに対する甲への謝礼である旨、原判示の各供与がわいろであり、その旨の認識をもっていたことを全面的に認める趣旨の供述をしていた。

これらの事情を総合すれば、原判示第二の一の供与は、B社が関空施設の清掃業務の下請業者として採用されたことへの謝礼及び今後も同様の取り計らいを受けたいという趣旨や、防犯用特殊ゴミ袋の関空施設における使用を検討するなどの好意ある取り計らいに対する謝礼の趣旨でなされたものであり、原判示第二の二、第二の三、第二の四の各供与も、B社に関する好意ある取り計らいへの謝礼や今後も同様の取り計らいを受けたいという趣旨でなされたものであり、まさに甲の職務行為に対する対価としての性格を有すること、すなわちわいろであることを十分認めることができる。もとより被告人に右の点に関する認識があったことも明らかというべきである。他方、関係証拠によれば、甲においても、前記被告人の供与の趣旨を認識した上で接待等を受けていたものであることが優に推認できるところである。

もっとも、被告人は、原審公判廷において、これらの供与がわいろの趣旨であったことを否認するに至り、これらの供与は、特段の見返りを期待してしたものではなく、社会的に重要な地位にある甲が自分とつきあってくれているのに感謝して支出したものであって、甲から個人的に色々興味深い話が聞けることに対する一種の講演料みたいなものであると供述し、また、原判示第二の一の供与は甲の後輩が京都を訪れたことへの歓迎の趣旨、第二の二の供与は関西空港の開港記念の趣旨、第二の三の供与は甲の快気祝いの趣旨、第二の四の供与は桜の花見の宴を開く趣旨でしたものであるとも供述している。しかしながら、被告人の右供述のうち、前段の講演料云々の主張については、内容自体が不自然、不合理であって、前記認定の各事情と矛盾するところが多い上、後段についても、前記各事情に照らすと、甲を料亭に招く際の名目を述べているにすぎないとみる余地があるし、仮に被告人の供述するような趣旨も併存していたとしても、本件各供与に、前説示のような甲の職務行為に対する対価としての趣旨があったことは否定すべくもないと考えられる。

補足すると、所論は、B社が関空施設の清掃業務に関して下請業者として選定されたのは、同社が関空会社に対して地元業者の意見をまとめるという十分な貢献をしたことによるものであるから、B社が下請業者に選定されたことをもって関空会社から好意ある取り計らいを受けたとは認められず、また、関西国際空港建設協力会の会長代理であるGが、関空会社の意向を受けてB社に対し、地元業者をまとめれば下請業者として選定してもらえると忠告した事実も認められるから、被告人の甲への申し入れとB社が下請業者として採用されたこととの間には因果関係が認められないと主張する。しかしながら、所論が指摘するB社の貢献やGの忠告に関する事情は、被告人の甲への依頼が端緒となってB社が下請業者として採用されたという事実自体を否定するものではないから、被告人が甲から好意ある取り計らいを受けたと認定した原判決に誤りは認められない。

また、所論は、防犯用特殊ゴミ袋の使用に関し、被告人は、酒席の座を盛り上げるための話題のひとつとしてこの話をしたにすぎず、右ゴミ袋の使用を働きかけてはいないし、甲もCに使用を検討するよう指示してはいないから、甲からこの点について好意ある取り計らいを受けたとは認められないのに、好意ある取り計らいを受けたと認定した原判決には事実誤認があると主張する。しかしながら、被告人の甲の被告事件における証人尋問調書や検察官に対する供述調書における各供述と、その他の関係証拠を総合すれば、前記(5)及び(7)の事実が優に認められるのであるから、右ゴミ袋の関空施設における使用の件が所論のいうような単なる酒席の座を盛り上げるための話題にすぎなかったとはいえず、甲が被告人の依頼をCに取り次いだことも十分認めることができるから、この所論も理由がないというほかない。

二  準公務員性の認識について

関係証拠によると、被告人は関空会社の業務の公共性を認識していたことが明らかであり、殊に、被告人は、検察官調書において、関空会社が半官半民の組織であって、普通の民間会社とは違った規制を受けていることを認識していたと供述し、甲の被告事件における証人尋問調書においても、平成四年中には、関空会社の経営には国家予算がつぎ込まれていて、国が何らかの形で経営に関与していることをも認識していたと述べており、その信用性に疑いを挾む事情は見当たらない。そうすると、被告人は関空会社の社長である甲が公務員に準ずる地位を持っていることについて認識を有していたと認めることができるから、所論中この点を争う主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由のないことが明らかである。

三  結論

以上の次第であるから、被告人にわいろ供与罪の成立を認めた原判決に誤りは認められない。論旨は理由がない。

第二  検察官の控訴趣意第一について

論旨は、原判決は、詐欺の公訴事実について、その証明がないとして無罪の言渡しをしたが、右の事実は証拠によって十分証明されているから有罪の認定をすべきであったのに、原判決は、証拠の取捨選択及び評価を誤った結果、右の結論に至ったものであるから、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認に当たるというのである。

一  本件詐欺の公訴事実、原判決の概要及び当審における争点

本件詐欺の公訴事実は、「被告人は、大阪市北区南森町〈番地略〉に事務所を置いて、H商会の名称で石油売買仲介業等を営むものであるが、石油製品の業者間転売取引においてその売掛金入金日と買掛金支払日との間に意図的に期日差を設けることによって実質的融資を受けることを目的とするいわゆるサイト差取引と称する売買形態を利用し、三井鉱山株式会社等から石油製品を購入すると同時に、同社に再度これを売却する形態をとった上、買掛金支払日を意図的に売掛金入金日の九〇日後に設定する等の方法により自己が実質的に融資を受けることを目的とする右サイト差取引の売買代金名下に同社から金員を騙取しようと企て、平成七年二月ころ、数回にわたり、東京都中央区日本橋室町〈番地略〉所在の同社事務所において、同社石油部副部長乙を介し、同社代表取締役副社長丙に対し、真実は自己に右サイト差取引における買掛金を支払って右実質的融資の返済を行う意思も能力もないのに、これあるように装い、自己には多額の収入が見込めるので、右買掛金を確実に支払うことができる旨虚偽の事実を申し向け、右丙をしてその旨誤信させ、よって、同年五月三一日ころから同年八月三一日ころまでの間、前後四回にわたり、同社経理部担当者をして、大阪市北区天神橋〈番地略〉所在の株式会社大和銀行南森町支店の被告人名義の普通預金口座に前記売買代金名下に現金合計二三億九三〇九万八三四〇円を振込入金させ、もって人を欺いて財物を交付させた」というものである。また、検察官は、原審において、乙は、故意ある幇助的道具として丙に対する欺罔行為を行ったと釈明した。

原判決は、①被告人に本件実質的融資の返済能力が全くなかったとまでは認められず、②乙が丙に対して真実と齟齬する内容の報告をしたことを詐欺の欺罔行為と評価すること及び丙において錯誤に陥っていたという点には重大な疑問がある上、③被告人が欺罔の故意をもって、情を知った乙を幇助的道具として利用し、あるいは、乙と意思相通じて、丙を欺罔したと認めるに足りる証拠はないと判示して、無罪の言渡しをした。

これに対し、所論は、原判決の①ないし③の認定はいずれも事実誤認であると主張してこれを争っている。そこで、以下、原判決が無罪の理由として挙げた諸点に関する所論の要点を摘示し、これに対する判断を加えていくこととする。

二  本件実質的融資に対する被告人の返済意思と返済能力について

1  所論の要点

被告人が、サイト差取引による本件実質的融資契約を結んだ平成七年二月当時の被告人の財産状態は極めて劣悪である上、近い将来マレーシアプロジェクト等からの収入の期待できる状況は全くなく、また三菱石油株式会社が被告人に代わって三井鉱山に対する債務を返済したり、被告人に対して右債務を返済するに資するような経済的支援を行ったりする意思は全く持っていなかったと認めるのが相当であるから、これらの諸点からすると、被告人には平成七年二月の本件欺罔行為の時点において、本件実質的融資を返済する意思も能力もなかったと認めるのが相当である。

2  前提となる事実

以下の事実は証拠上明らかである。すなわち、本件でいうサイト差取引とは、石油製品の業者間転売取引(以下、「業転取引」という)において、その取引の中間に位置する特定の者につき、毎月の買掛代金の支払期限を売掛代金の受領期限よりも数か月遅く設定することにより、その間の代金相当額を手元に滞留させ、その者に実質的に融資を受けさせることをいう。被告人は、平成七年二月、三菱石油の担当者のIや三井鉱山石油部副部長の乙と相談して、原判示の商流③及び商流④のサイト差取引に参加し、総額一七億一〇〇〇万円(一か月当たり五億七〇〇〇万円の三か月分)の実質的融資を受けることになった(検察官はこの取引の開始について、前記の欺罔行為が行われたと主張している。)。商流③④の各参加当事者、代金支払期限や、商流③が商流④に移行した経緯等は、原判決が原判決書六五頁四行目から六七頁一〇行目までで説示するとおりである。これらの商流は三菱石油が販売元となっている石油製品の業転取引を内容とするものであって、被告人の経営するH商会と三井鉱山は、右各商流において、いずれもその中間に位置するが、両者に関係する部分のみをみると、商流の流れ及び代金の支払期限は、商流③では、三井鉱山→(一二〇日、以下、かっこ内の日数は代金の支払期限を表す。)→J社→(一二〇日)→K社→(一二〇日)→H商会→(三〇日)→三井鉱山となっており、商流④では、三井鉱山→(一二〇日)→H商会→(三〇日)→三井鉱山となっている。被告人は、右取引において、当初の三か月間は総額一七億一〇〇〇万円の金員を実質的融資金として費消することができるが、四か月目からは、当月に支払を受けた金員を三か月前の取引代金の支払に充てることが求められ、そのようにする限り、破綻せずに取引を継続することができる。しかし、実質的融資を完済して本件のサイト差取引を解消するためには、三か月分の金員である一七億一〇〇〇万円を別途用意して支払うことが必要であった。また、被告人と三井鉱山は、本件実質的融資の開始当時、二ないし三年をめどに本件取引を解消することで合意していた。

被告人に対する実質的融資の金額は、当初前記のとおり合意されたが、被告人の要求により以下のとおり漸次増加していった。すなわち、被告人は、本件取引による実質的融資として、三井鉱山から平成七年二月二八日に五億九八三四万三四〇九円、三月三一日に六億三七五七万六八七九円、四月二八日に六億三二三一万三六五五円、五月三一日に六億三五八四万六八九〇円、六月三〇日に七億一〇三九万七三二一円、七月三一日に七億二六七九万六七四五円を受け取り(平成七年二月二八日の支払は商流③によるものであり、その他は商流④によるものである。)、同年五月三一日、六月三〇日、七月三一日に順次右二月分、三月分及び四月分の各融資金を返済した。ところが、後記のとおり、三井鉱山が本件サイト差取引をうち切る旨決定したことにより、被告人は、同年八月三一日に、右五月分の融資金のうち、三億円について三井鉱山から相殺の意思表示を受け、残り三億二〇〇五万七三八四円のみを受け取ることになった。被告人は、K社に対する支払分として一億二五四九万八二三一円を返済したが、残額の二億一〇三四万八六五九円を三井鉱山に返済せず、その後は右六月分、七月分、八月分の融資金の全額も三井鉱山に返済しなかった。

3  被告人の平成七年当時の財産状態

証拠によると、被告人の平成六年一二月末現在の金融機関からの借入額が約五四億円であるのに対して、総資産額は約二八億円で、金融機関への返済が滞りがちであったこと、被告人の平成七年当時の収入は、三菱石油からの一月あたり二〇〇〇万円の報酬がその大部分を占めていたが、被告人が費消する運転資金は一月あたり約八五〇〇万円であって、毎月約六五〇〇万円が不足し、その捻出に苦慮していたことが認められる。これらの被告人の当時の財産状態に加え、前記のとおり、被告人への毎月の融資額が被告人の要求により漸次増加し、その増加分が毎月の運転資金に充てられていたこと、被告人が平成七年八月三一日に融資金のうち二億円余りを返済できなかったことからすると、被告人は、そもそも本件サイト差取引による実質的融資契約の締結時である平成七年二月当時においても、三か月先の融資金の返済が困難な状況にあったことがうかがえないでもない。

しかしながら、関係証拠によると、被告人が平成七年八月末に三井鉱山に対する返済を行うことができなかった原因は、三井鉱山側にもあった。すなわち、三井鉱山において、丙が次期社長昇進をめぐる競争に敗れ、後任の社長にL(当時の専務)が内定したことから被告人に対する本件融資が問題となり、まず乙が被告人の担当をはずされ(乙は、平成七年七月一五日付で札幌支店副支店長を命ぜられ、これを不服として同月末日をもって三井鉱山を退職した。)、次いで平成七月二月当初の被告人に対する融資の考え方が変わり、同年八月をもって本件サイト差取引をうち切ることが決定された。そして、三井鉱山は、事前に三菱石油に通知することなく、被告人に対し三億円の相殺の意思表示をし、同年九月以後のサイト差取引を行わないと通告したことにより、この打切りを実行に移したものであって、被告人が破綻したのは、前記財産状態が直接影響したためであるとは必ずしも認められない。加えて、三井鉱山が相当の時間的余裕をもって三菱石油に本件取引の打ち切りを通告していれば、後に認定するように、三菱石油と被告人とのこれまでの関係や、被告人の政官界における影響力を業務に利用する三菱石油の意図、被告人が破綻することによって被むる三菱石油への影響、これまでの被告人との間の不明瞭な報酬等の関係が世間に露呈されることを恐れる当時の三菱石油上層部の意思、石油元売り会社としての同社の立場等にもかんがみると、被告人の破綻を避けるため三菱石油が他の融資方法を取った可能性も否定できず、三井鉱山以外に本件実質的融資を引き受ける会社がなかったとまでもいい切れず、また、被告人の運転資金の内容やその性質等に照らすと、原判決が認定しているごとく被告人が使用する運転資金を減少することも可能であったことを必ずしも否定し難い。

以上の事情を総合すると、被告人の平成七年二月当時の財産状態は相当劣悪ではあったが、それだけから直ちに被告人に本件実質的融資返済の意思や能力がなかったとまで即断することはできず、後記4で認定するマレーシアプロジェクト等からの収入の見込みや、同5で認定する三菱石油からの援助の見込みをも考慮して、被告人の返済の意思や能力の有無を判断するのが相当というべきである。

4  マレーシアプロジェクト等からの収入の見込み

証拠によると、以下の事実が認められる。すなわち、被告人は、平成六年一〇月ころ、マレーシアの原油を日本や米国、欧州等に供給することを目的として、M社を設立し、平成七年一月中旬ころには、マレーシア等東南アジア諸国における各種プロジェクト事業の情報を日本の企業に伝え、その仲介により日本企業にプロジェクトを受注させて仲介手数料を得ることを目的として、N、O、Pらと共に、実質的に出資金の全てを負担してマレーシアの現地法人であるQ社を設立し、現地の者とのコネクションを頼って様々な事業を始めていた。平成七年二月当時、被告人らが最も有望とみていた事業は、マレーシアにおけるモノレール建設を日本企業に請け負わせる事業であり、受注額を当時五〇〇億円ないし六〇〇億円程度と見積もり、その二パーセント位の手数料収入を見込んでいた。現に、伊藤忠商事株式会社は、平成七年二月三日ころ、被告人から右プロジェクトについての話を持ちかけられ、同年四月一二日被告人から右プロジェクトの事業主体であるR社のS社長を紹介され、紹介料として、同年五月二二日に五〇〇万円、八月三日に五〇〇万円をQ社に支払い、最終的には、平成八年一二月二七日、同社との間で、見積額を約三一九億円とする日立製作所によるモノレールの建設プロジェクトの受注に成功した。また、T電力の変電所建設プロジェクトは、平成七年二月ころ、モノレールプロジェクトに次いで有望と考えられており、最終的には実現に至らなかったものの、平成七年五月二六日に兼松株式会社から情報提供料としてQ社に五〇〇万円が支払われており、同月当時Oから被告人に対し、マレーシア人の仲介者であるUとの合意により、受注額が二五〇億円程度であり、受注に至れば約八億五〇〇〇万円の仲介手数料を取得できる見込であると報告されていた。その他にも、平成七年二月当時は、マレーシア国内において、現地の者とのコネクションを通じて幾つかのプロジェクトの仲介が計画されており、その実現可能性を必ずしも否定し難いものもあったことがうかがえる。

もっとも、右モノレール事業の仲介手数料として実際にQ社が得られる収入は、伊藤忠関係者の供述によると五〇〇〇万円程度にとどまり、被告人の当初の思惑とはかなり金額の隔たりがあることも認められるが、その理由は、証拠によると、マレーシア国内の事情によってS社長の報酬に対する態度が変化したことに加え、伊藤忠が実際に事業を受注したのが被告人の逮捕が大きく報道された後であって、Q社側の仲介手数料に関する交渉力が大きく低下したことなどが影響したことによるものとうかがうことができるのであるから、右の事情をもって被告人の平成七年二月当時のマレーシア事業における収入見込額が過大であったことを示すものとは認められない。

これらの事情を総合すると、被告人がこれらのプロジェクトの仲介によって得た収入をもって、平成七年二月から三年くらいまでの間に本件融資金の返済資金を捻出する可能性がなかったとはいい切れない状況にあったというべきである。

所論は、Q社が得る手数料収入のうち、被告人の取得分は契約上六分の一にすぎないから、被告人の取得分が本件融資金を返済できる程の金額に達することはあり得ないと主張するが、証拠によると、被告人は、Q社の出資金を実質的にすべて負担しており、平成七年夏ごろまでN、O、Pに対して毎月四〇万円ないし一〇〇万円の給料を支払っていたと認められるのであるから、Q社が得る収入のうち多くを被告人が本件融資金の支払いに充てることも不可能ではなかったとみるのが相当である。

5  三菱石油から被告人への資金援助の見込み

証拠によると、以下の事実が認められる。すなわち、被告人は、昭和五二年ころから石油の業転取引を通じて三菱石油と関係を持ち、次第に当時の同社上層部の者と親しく交際するようになり、昭和六二年ころ、三菱石油が通産省の行政指導として事実上規制されていた石油の生産枠を破って増産をしたとされる問題に関し、同社の依頼を受けて、政官界の関係者に働きかけたことや、その他三菱石油のための様々な政官界工作を行ったことによって、三菱石油からその主導する業転取引を通じて口銭の名目で裏金として報酬を受領するようになった。その報酬額は、当初の昭和六二年ころは月額二〇〇〇万円程度であったが、その後次第に増額され、平成五年の春、秋、平成六年の春にはそれぞれ半年分の報酬として、約七億円を受領するまでになっていた。また、これら被告人に対する報酬の支払いとは別に、三菱石油における被告人の担当者であったIは、平成四年八月ころ、被告人の依頼により原判示の商流①、すなわちサイト差取引によりJ社が約一二億円を被告人に対し実質的に融資することを内容とする業転取引を計画、実行し、それをそのまま継続していた。ところが、平成六年五月ころ、三菱石油の次期社長に内定していたVが、被告人に対する前記報酬額が増大し過ぎているとして、Iに対して減額を指示したことにより、平成六年秋の報酬額は一億七〇〇〇万円、平成七年春の報酬額は一億二〇〇〇万円(月額二〇〇〇万円)と従前より大幅に減額されることになった。この間の経緯につき、平成六年五月末ころ、乙がVを一人で部屋に訪ねた折りに、Vから、「Iにはもっとスマートな方法がないのかと言ってあります。」とか、「ところで、乙さん、Iは被告人から金をもらっていないでしょうね。どうですか。」とかの話が出たりしている。ところで、Vの意向によりそのまま被告人の担当者として三菱石油にとどまっていたIは、右減額によって金銭的に窮迫した被告人の依頼により、平成六年一〇月、三井鉱山の乙の協力を得て、被告人に三か月間で総額約五億一〇〇〇万円の実質的融資を与えることを内容とする原判示の商流②を計画、実行し、平成七年二月には、同じく一旦は断った乙の協力を得て、被告人に本件実質的融資を与えることを内容とする原判示の商流③及び原判示の商流④を計画、実行した。また、Iは、本件融資、すなわち商流③、④による実質的融資の開始後、乙の要請により、三井鉱山に対して、「三菱石油株式会社東京支店次長 I」の名義で、三菱石油が被告人の本件実質的融資に基づく債務をすべて保証する旨記載した覚書を交付した。三菱石油の社長となったV、同社副社長のWら同社上層部は、これらの商流の内容を承知しながら、Iをして各商流を継続させたばかりか、本件欺罔行為が行われたとする平成七年二月には、被告人に石油備蓄タンクの借り上げを政府に働きかけてもらう目的で被告人と共に沖縄に出張したり、本件問題発生後の平成八年六月ころには、Iに命じ、新たなサイト差取引によって約二億三〇〇〇万円を被告人に融資したりしている。

以上の事情によると、Vら三菱石油の上層部は、平成六年五月ころ、被告人に対する報酬額を減額したが、その後においても、被告人の経済的困窮を知り、被告人を経済的に破綻させれば前記のような被告人と三菱石油との不透明な関係が世間に明るみに出るかもしれないことを恐れ、また、依然として被告人の政官界における影響力を業務に利用する意図をもっていたことから、Iを通じて、三菱石油との関係強化を望む三井鉱山を利用し、被告人が資金調達できる手段を講じていたものとうかがうことができ、一方、被告人は、平成七年二月当時も、昭和五二年ころからの三菱石油との関係、報酬の受領、商流①、②による融資の実施状況等から三菱石油が被告人を見捨てることはなく、なんとかしてくれるとの認識を持っていたこともうかがうことができる。そうすると、被告人の三井鉱山に対する本件債務についても、Vら三菱石油上層部の者にこれを直接保証する意思があったか否かは別として、被告人に対して、本件債務を弁済するに資するような経済的支援を行う意思があったことを必ずしも否定できないし、被告人やその他の関係者が右の趣旨の期待をしたとしても必ずしも理由がないものとはいえない。

所論は、V及びWが、検察官調書において、Iが商流②ないし④の取引を行っていたことは知らず、三菱石油が三井鉱山に対する被告人の本件債務を保証し、被告人に代わって返済する意思はなかったと述べていることや、現実に被告人に対する報酬が平成七年春分まででうち切られている事情等に照らすと、三菱石油の上層部の者には、被告人の本件債務を保証する意思がなかったことはもとより、被告人に対して、本件債務の弁済に資するような経済的支援を行う意思もなかったと認めるのが相当であると主張する。しかしながら、三菱石油の被告人に対する報酬がうち切られた理由に関しては、証拠によると、三井鉱山が三菱石油の実質的負担により被告人に支払っていた報酬の関係で、東京国税局の税務調査を受けたことにより、税務当局に被告人に対する裏金による報酬支払の事実が発覚するのを恐れたためであるというような事情もあったことが推認され、平成八年に前記のとおり別の商流を利用して被告人に融資が行われている事情等に照らしても、三菱石油に被告人に対する報酬を再開する意思がなかったとまではいえない。また、V及びWの前記各供述の信用性を検討すると、Vらが商流②ないし④を知らなかったという同人らの供述の前提自体、I作成の副社長宛の商流③に関する決裁文書の存在及びその内容や、Vらの説明によれば上司に無断で右各商流の取引を始めたことになるIに対する三菱石油社内での処遇の仕方、すなわちIは、工業燃料課長として被告人の担当者であったが、平成七年四月に東京支店次長に昇進した後も上層部の特命で被告人の担当を継続し、本件の共犯容疑で逮捕され、釈放された後も、平成九年六月末まで三菱石油社内にとどまっていたことなどの当時の状況に照らしても、信用できないというべきである。その上、前記のとおり、Vらに被告人の経済的な破綻を避けたいという思惑があったことは否定し難いと考えられることや、三菱石油が、平成八年六月ころにも、Wの指示により、被告人に対して新たなサイト差取引による融資を実行していること等の諸事情をも併せて考慮すると、被告人に対して資金援助を行う意思がおよそなかったかの趣旨をいうVらの供述には信用性に疑問をいれる余地があり、同人らの供述も、三菱石油が被告人に対して返済資金の援助をする見込みがあったことは否定し難いという前記認定の妨げになるものではないと考えざるを得ない。

なお、当審における事実取調べの結果によると、Wは、平成七年一二月二八日ころ、被告人に対し、本件サイト差取引による融資金の返済に関係する内容の手紙を送っていた事実が認められ、所論は、右手紙の内容は、Wら三菱石油の上層部が本件融資金を返済するための資金的協力をする可能性がなかったことを示すものであると主張する。確かに、右手紙の中には、所論の趣旨に沿う記述がみられる点は否定できないが、他方、被告人への資金提供に関して、今はできないが時期がくればお役に立てるときが来るなどと右趣旨に反する記述も見受けられ、必ずしも一貫した内容を述べたものとは認められない上、前記のとおり平成八年に被告人への融資がなされている事情にも照らすと、所論は理由がないというべきである。

6  結論

以上の検討の結果によると、被告人の平成七年二月当時の財産状態は、相当劣悪ではあったが、被告人が、マレーシアプロジェクト等からの収入により、三井鉱山との約束である三年の期限内に、本件融資金の返済資金を得る可能性がなかったとはいい切れない上、三菱石油から本件債務の弁済に資するような経済的支援を受ける可能性があったことも否定できない状況にあったのであり、加えて三菱石油と被告人との長期間の関係から、被告人に本件融資の開始当時、融資金の返済意思も返済能力もなかったと認定するのには、なお合理的な疑いが残るというべきである。

三  乙による丙に対する欺罔行為の成否及び丙の錯誤について

1  所論の要点

乙は、平成七年二月、三井鉱山の決裁権者である丙副社長に対し、被告人に対する本件実質的融資の決裁を求めるに当たり、被告人の故意ある幇助的道具として、被告人の返済能力に関し、以下のとおり、その認識とは異なる虚偽の事情を報告して欺罔行為を行った。

(1) 乙は、被告人が平成七年二月当時、多額の負債を抱え、その資金繰りが極めて悪化していることを知りながら、丙にこれを告げなかった。また、これに関連し、乙は、被告人のJ社に対する約一二億円の債務を肩代わりする目的で、本件融資が計画されたことは報告したが、その理由として、J社の社内的な事情によるものとのみ説明して、被告人が長期にわたり右債務を返済することができないためであるという事情を告げなかった。

(2) 乙は、被告人にはマレーシアプロジェクト等による返済資金調達の確実な当てがないことを知っていたのに、丙には二ないし三年以内にマレーシアプロジェクト等からの収入により十分返済可能である旨虚偽を告げた。

(3) 乙は、三菱石油が被告人に対する融資金を保証する意思がなく、その返済に資するような経済的援助をする意思もないことを知っていたのに、丙には、被告人と三菱石油は親密な関係にあり、被告人の本件債務も三菱石油が保証しているなどと虚偽を告げた。

そして、丙は、右(1)ないし(3)の乙の欺罔により、被告人の返済の意思及び能力に関する判断を誤って錯誤に陥り、本件の実質的融資を行う旨の決裁をした。

2  乙の報告がその認識に反していたか否か

被告人の返済能力に関して既に検討した前記諸事情を踏まえ、所論が主張する前記諸点について、乙が丙へ報告した内容を認定し、その報告内容が乙自身の認識に反していると認められるか否かについて検討する。

まず、(1)の点についてみると、証拠によれば、乙は、被告人にはJ社に対する約一二億円の債務があり、その返済が現在できない状況にあることを丙に報告していたが、それ以外の被告人の当時の財産状態については、報告していないことが認められる。また、証拠によると、乙は、被告人が当時約二六億円の債務超過状態であったことまでは知らなかったが、金融機関への返済が滞りがちであったことや、毎月の運転資金の捻出にも苦慮していたことについては、その認識があったものと認められる。そうすると、乙は、被告人の財産状態に関する右の諸点については、その認識がありながら、丙に報告しなかった。なお、所論が(1)の後段で主張する点については、乙は、被告人のJ社に対する債務について、丙に前記のとおり説明したと認められるから、この点に関して、特にその認識と異なる説明をしたとはいえない。

次に、(2)の点についてみると、前記のとおり、平成七年二月当時において、被告人が二ないし三年以内にマレーシアプロジェクト等からの収入によって本件融資金を返済できる可能性は、ないとはいい切れないとはいえ、その見込みが十分あって楽観できるような状況にあったものではないことが明らかであるが、証拠によると、乙は、平成七年二月三日ころ、マレーシアプロジェクト等に参加していたXから、同プロジェクトの今後の見込みに関する報告を受けて、右と同様の認識を持っていたと認められる。しかしながら、証拠によると、乙は、丙に対しては、そのように報告せず、二ないし三年のうちにはマレーシアプロジェクト等からの収入により十分融資金の回収が可能である旨報告していたと認められるから、この点に関して、乙は、当時の客観的な状況よりは楽観的な見通しを丙に報告している限度において、その認識に反する報告をしたというべきである。

また、(3)の点についてみると、証拠によれば、乙は、所論のいうように、丙に対し、被告人と三菱石油は親密な関係にあり、被告人の本件債務も三菱石油が保証しているなどと報告したことが認められる。しかしながら、被告人と三菱石油とは前記のような種々の関係があって、三菱石油の上層部としても、被告人の経済的破綻を回避したい意思があり、本件融資金についても、その内容を認識し、保証まではともかく、返済に資するような経済的援助を行う意思を有していたことを否定し難いことは前述のとおりである。また、証拠によると、乙は、前記のような被告人と三菱石油との関係を知っていて、三菱石油が本件融資の保証をしていると信じていたと認められるから、乙が丙に対し右の点についてその認識と異なる説明をしたとは認められない。

以上によると、乙は、被告人の当時の財産状態について、毎月の運転資金の捻出にも苦慮していたこと等について言及しなかったこと、マレーシアプロジェクト等からの収入の見込みについても、二ないし三年のうちには同プロジェクトからの収入により融資金の返済が十分可能であるという趣旨を述べたことの各点において、その認識に反する説明を丙にしたと認められ、その余の所論は理由がないと認められる。

3  乙が本件融資の申入れに応じて丙に決裁を求めた動機

そこで、これらの点に関する乙の説明を詐欺罪の欺罔行為として評価すべきものであるのか否について検討する前提として、乙がIや被告人からの本件融資の申入れに応じて丙に決裁を求めた動機について検討する。

所論は、この点について、乙は、商流②のサイト差取引を丙に無断で開始し、平成六年一〇月から三井鉱山の危険負担のもとに約五億一〇〇〇万円の実質的融資を行っていたところ、被告人の経済的破綻によりそれが回収不能になって丙に露見することを恐れたため、被告人の資金繰りに協力せざるを得ない立場に追い込まれ、Iや被告人の申し入れに応じて本件実質的融資を行うことになったと主張する。

そこで、乙が商流②を丙に無断で開始したか否かについて検討する。商流②は、原判決が原判決書六四頁一行目から六五頁三行目までにかけて説示するとおり、本件の商流③④が行われるより前の平成六年一〇月から平成七年一月までにかけて行われた業転取引であり、その参加当事者、商品の流れ、代金支払期限は、三井鉱山→(一二〇日)→K社→(一二〇日)→H商会→(三〇日)→三井鉱山というものであった。そして、乙は、捜査段階、原審公判を通じて、丙から商流②の取引を行うことについて了承を得ていたと供述し、検察官調書においては、その際の具体的なやりとりについて、以下のとおり供述している。すなわち、丙に対し、口頭でIから被告人の資金繰りのための協力依頼があり、K社を経営するXも協力すると言っているので、商流②の取引を開始したいと告げたところ、丙が「うちから金は出るのか。うちが直接売るのではないな。」と聞いてきたので、「うちから金は出ません。被告人とは仕入れの関係だけです。」と答えたところ、「それなら稟議の必要はない。」と言ってこれを承認してくれたというのである。これに対し、丙は、捜査段階、原審公判を通じてこのようなやりとりは記憶になく、当時商流②の取引のことは乙から知らされていなかったと供述している。そこで、両者の供述のどちらに信用性があるのか検討すると、乙の右供述は、極めて具体的で、迫真性に富んでいる上、三か月で約五億一〇〇〇万円という少なくない額を被告人に滞留させる取引をする以上、会社組織に属する者として上司の決裁を得ておくというのはごく自然なことであり、また、三菱石油との提携を強化することにより三井鉱山石油部門の業務拡大を図るという共通の目的を持つ丙にあえてこれを秘匿しなければならない理由が見出し難いことからしても、極めて信用性が高いというべきである。また、Xは、検察官調書において、乙から商流②の取引を行うことについては、丙の承認を得ていると聞かされていた旨、乙の右供述に沿う供述をしているが、Xの供述によると、Xと丙は以前から仕事上の付き合いがあって割合親しかったというのであるから、Xから直接丙に発覚する危険を冒してまで乙が商流②の取引を丙に隠していたとは考え難い。これに対し、丙は、商流③及び商流④の決裁をした者として、社長のIから本件融資による多額の未返済金に対する責任を追及されかねない立場にある者であり、自己の責任を回避しようとする供述に傾きがちになる可能性を否定できない。また、当時乙の部下として商流取引の実務を担当していたYは、捜査段階及び原審公判を通じて、乙は商流②を丙ら上層部へ報告していなかったと思うと供述しているが、その根拠とするところは、乙が商流取引を外部に公表しないよう口止めしていたという点だけであって、丙に報告していないというのはYの推測にとどまっている上、商流取引やこれを利用したサイト差取引はもともと表沙汰にしにくい性質を有するので、乙は、Yら部下にはこれをできるだけ外部に漏らさないよう求めていたと推認することもできるから、Yの供述は丙の供述を裏付けるものとは認められない。また、所論は、乙が平成七年二月一〇日付けで作成した商流③に関する稟議書には、商流①の取引ルートの一部が変更されて商流③になったとのみ記載されていて、商流②のことが全く触れられていないのであるから、この事実も丙の供述の信用性を裏付けていると主張する。しかしながら、乙は、検察官調書において、丙に対して商流③の取引を始める決裁を求めるに当たっては、商流②の存在が商流③の取引金額を決定する根拠の一つになっていることを口頭で説明したと供述しているところ、商流③の稟議は、乙が最初に丙に対して口頭で報告してその承諾を得た上で、稟議書を作成して他の取締役や石油部長に回覧したというのであって、稟議書を経ていない商流②については他の者には知らせないためにあえて本件稟議書において触れなかったとも理解しうるのであるから、右稟議書の記載があるからといって、乙の供述の信用性が損なわれるとは認められない。

以上によれば、乙の供述は、丙の供述に比べて信用性が高いと認められるから、乙は、商流②の取引を丙に報告してその了承を得ていたと認められる。

さらに、所論は、乙が前記検察官調書で述べたとおりの内容を丙に報告していたとしても、乙の供述によれば、乙は商流②における融資の負担が実質的には三井鉱山にあることを丙に告げていないというのであるから、乙はこのような重要事項を丙に秘匿していたことになり、この点は乙が欺罔行為を行う動機になり得るとも主張する。しかし、商流②において被告人に与信を与える立場にあるのは、前説示の商流②の流れに照らして明らかなように、K社であって、三井鉱山であるとは認められない。もっとも、乙やXの捜査段階における供述中には、K社の負担は結局は三井鉱山の負担になるという趣旨をいうように解される部分があるが、関係証拠を検討しても、三井鉱山がK社に対し被告人の債務を保証したとか、これを何らかの形で引き受ける合意をしたとか、あるいは三井鉱山とK社の間に、両者間の利害を同一視できるような何らかの関係があったとかの事情があったとは認められないし、乙らの前記供述部分も、その根拠が示されておらず、にわかに採用することができないというほかはない。そうすると、乙の丙に対する説明に右所論がいうような虚偽があったとも認められないというべきである。

そこで、改めて、乙がIや被告人からの本件融資の申入れに応じた動機についてみると、証拠によれば、乙は、以前から三菱石油に恩を売ることにより、三菱石油と提携して三井鉱山の石油事業を拡大しようと考えており、現に、平成七年の初めには、三菱石油と提携して今後ガソリンスタンドを全国的に展開していく内容の契約を結び、三井鉱山東北支店が三菱石油の子会社である東北石油株式会社から灯油等の石油の中間製品を継続的に購入するという話を進めていたことが認められる。また、乙は、平成六年ころに被告人から一〇〇万円位の商品券を受け取ったことがあるほか、これまで被告人から何度か飲食等の接待を受けたことも認められるものの、職を失う危険を冒して会社の利益に反する行為をしなければならないほど、被告人から利益供与を受けていたと認めるに足りる証拠は存在しない。

これらの事情によると、乙が本件融資の申込みを承諾した動機は、三菱石油のIに恩を売ることにより、三菱石油との業務提携を強化して三井鉱山の会社としての利益を追求しようとしたものであり、このことは自分を信頼してくれている丙の企図とも合致し、個人的には、会社としての事業の成功により自らの社内的栄進を図る目的を有するにすぎなかったとみるのが相当である。

4  乙の欺罔行為の成否

以上の事実関係を前提として、乙が丙に対して行った説明が欺罔行為と評価すべきものであるのか検討する。乙は、前記のとおり、被告人の財産状態について、自己の認識している被告人の窮状を丙に報告せず、マレーシアプロジェクト等からの収入の見込みについても、当時の客観的な状況よりは楽観的な見通しを丙に報告している。しかしながら、既に認定した諸事情を総合すると、乙は、被告人が政官界との強い結びつきをもって石油業界における隠然たる力を有しており、特に三菱石油とは従前から長年にわたり、多額の報酬を受領しているなど深い関係を有していると認識し、本件融資金については、マレーシアプロジェクト等からの収入により、確実であるとまではいえないにしても、その返済資金をまかなうことが不可能ではなく、仮にそうならない場合であっても、これまでの被告人と三菱石油との関係から三菱石油が資金援助をするなり代わりの商流を組むなりして本件融資金の回収を援助するであろうと考え、三菱石油との提携を強化して三井鉱山の石油事業を展開するためには、三井鉱山として三菱石油の要請に応じるべきであると判断して、商流③及び④による本件融資を行いたいと考えたと推認することが可能である。また、被告人の財産状態についても、乙としては、被告人が前記二3で認定したほどの著しい債務超過にあったとまでは認識していなかった疑いがあり、被告人の資金状態をそれほどには悲観視していなかったという疑いも否定し難い。すなわち、乙は、平成七年二月当時、被告人の財産状態やマレーシアプロジェクト等からの収入見込みについては、被告人の返済能力の有無を考慮するに当たってそれほど重要な要素ではないと判断し、丙にとっても同様であるものと考えたため、あえて丙に説明しなかったり、楽観的な見通しを説明したとみる余地がある。そうすると、乙には被告人の返済能力について丙を欺罔しようという故意がない上、その説明の一部が乙自身の認識と反していることをもって欺罔行為と評価することはできないというべきである。

これに対し、所論は、乙は、捜査段階においては、丙を欺罔したことを認めていたと主張しており、乙の検察官に対する供述調書中には、確かに欺罔の故意を認めたかのような供述をしている部分も存在する。しかしながら、右供述調書中には、「確かに公平な目で見て、私が被告人に強く頼まれるままに、丙副社長を騙すという役目を果たしたというのが実際のところであったことは、率直に認めざるを得ません。」というように、本件融資開始当時の欺罔の故意というよりは本件融資が返済されなかったという結果からみた事後的な判断を述べたとも受け取れる部分も存在しており、この調書が欺罔の意思を認めた内容といえるのか疑問な点も見受けられる。また、乙は、原審公判廷において、このような検察官調書が作成された理由として、本件融資開始後の客観的事情からすると自分が丙を結果的に騙したことになると検察官から言われ、自分も責任を感じていたことから検察官の言い分に抵抗できず、前記のような検察官調書に署名せざるを得なくなったものであると述べているが、乙の本件融資における立場や右調書の内容からすると、乙の右説明は必ずしも排斥し難いものがあるというべきである。これらの事情に既に認定した本件融資開始当時の乙の認識に関する諸事情を総合すると、乙の検察官調書中の欺罔の故意を認めた部分については信用性がないものと認められる。

以上によると、乙が丙に対して行った説明が欺罔行為であると評価することはできず、乙には欺罔の故意もなかったと認めるのが相当である。

5  丙の錯誤の有無について

前記2のとおり、丙は、乙から本件融資の説明を受けた際、被告人の財産状態やマレーシアプロジェクト等からの収入見込みについて、真実とは異なる楽観的な見通しを告げられたものと認められる。しかしながら、前記のように、乙が、これらの事項は本件の商流の実行の可否を決めるに当たりそれほど重要視するには当たらないと考えたため、丙に対し説明しなかったり、この点について事実と異なる説明をしたと疑う余地があるのと同様、丙にとっても、これらの事項は、本件取引の可否を決する意思決定をするに当たり、実際にそれほど大きな影響を及ぼしてはいなかったと考える余地がなる。すなわち、証拠によると、経理部長の経験もある丙は、被告人にはJ社に対する約一二億円の債務があって、その返済が現在できない状況にあり、そもそも正規とはいえないサイト差取引という融資方法を実行することを認識しながら、被告人から何らかの担保を取ることもなく、被告人の財産状態やマレーシアプロジェクト等の詳細について、乙に調査や報告も求めなかったことが認められる。また、丙は、被告人が三菱石油と親密な関係を保ち、石油業界において勢力を持っているという認識を持っていた上、副社長兼営業本部長としての立場から、三菱石油との提携によって三井鉱山の石油事業を展開するという企業利益の点で、乙と共通の目的を持っていたことも認められる。これらの事情を総合すると、丙は、三井鉱山の石油事業を推進することを目的として本件融資を決裁したものであり、被告人の返済能力に関しては、被告人の石油業界における地位や三菱石油との深い関係等の事情からすれば、被告人が返済不能になることはないと考え、仮に三年以内に返済できない場合でも、三菱石油が資金援助をするなり代わりの商流を組むなりして本件融資金の回収を援助するであろうと予想して、被告人の返済能力に関する調査、報告を求めず決裁したとみる余地のあることは否定し難い。

そうすると、乙が前記の各点について前記認定の範囲でその認識とは異なる報告をしたことが、丙の本件融資の決裁という意思決定に重要な影響を及ぼしたとは必ずしもいい切れないというべきであるから、丙において、乙の報告によって錯誤に陥ったと認定するのにはなお合理的な疑いが残るというべきである。

四  結論

以上の検討の結果によると、本件実質的融資の開始時点において、被告人の返済意思や能力がなかったと認定するのには合理的な疑いがある上、乙が、被告人の故意ある幇助的道具として、又は被告人と意思を通じあって、丙に対する欺罔行為を行ったと認めることはできず、丙において、乙の欺罔行為により錯誤に陥ったと認定するのにも合理的な疑いが残るのであるから、その余の点について判断するまでもなく、詐欺の公訴事実については、その証明がないことになる。したがって、被告人に対して無罪を言い渡した原判決の認定に所論の事実誤認はないから、論旨は理由がない。

第三  弁護人の控訴趣意第二及び検察官の控訴趣意第二について

弁護人の論旨は、被告人を懲役二年及び罰金八〇〇〇万円の実刑に処した原判決の量刑は重過ぎて不当であり、特に懲役刑については執行猶予を付すべきであるというのであり、また検察官の論旨は、右の刑は軽過ぎて不当であるというのである。

そこで、検討するに、本件は、原判決が認定したとおりの所得税法違反及び関西国際空港株式会社法違反の事案である。まず、所得税法違反の点についてみると、ほ脱額が三年間にわたって三億三〇〇〇万円余りと高額であり、ほ脱率も約七六パーセントと高率である上、被告人は、経費その他の支出を明らかにする帳簿類を一切作成せず、従業員をして領収書等の経理書類を順次廃棄させた上、税務申告の代理人に対しては、前年度の所得金額を若干上回る程度の虚偽過少の申告書を作成するよう指示して実行させたものであるから、態様が悪質である。また、被告人は、本件脱税が摘発された後、国税庁の指導に従い原判決認定のほ脱額とほぼ同額の修正申告をしたものの、原判決の時点では全く納めることができず、原判決後差押物件の売却等によりその一部を納税したが、現時点においても二億四〇〇〇万円余りの本税と一億円以上の重加算税が未納であることが認められる。次に、関西国際空港株式会社法違反の点についてみると、既に認定したとおり、被告人は、同社の代表取締役である甲に対し、同社の業務に関する好意ある取り計らいを受けたことに対する謝礼と、今後も同様の取り計らいを受けたいという趣旨のもとに、二年間に四回にわたってわいろを供与したものであり、国家的プロジェクトである関空会社の業務遂行の公正さに対する国民の信頼を失わせた悪質な犯行であるというべきである。また、供与に関する接待額は一人当たり合計三四万円余り、供与した金品の額も合計一八二万円余りと少なくなく、この点からみても、犯情は良くない。

他方、被告人にこれまで前科がないこと、所得税法違反に関しては、事実を認めて反省の態度を示していること、本件の発覚により被告人に関する多くの報道がなされ、それなりの社会的制裁を受けたと認められること等の被告人のために酌むべき事情があることも認められる。

これらの事情を併せて考慮すると、原判決の量刑は、懲役刑に対して執行猶予を付さなかった点を含め、相当として是認することができるものであって、これが重過ぎて不当であるとも、軽すぎて不当であるとも認めることはできない。検察官及び弁護人の論旨はいずれも理由がない。

第四  結論

以上の次第であって、検察官及び弁護人の各論旨はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条により検察官及び被告人の本件各控訴をいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・村上光鵄、裁判官・木口信之、裁判官・杉山愼治)

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